遅れましたが、みなさん明けましておめでとうございます。

ところで、昨日は成人式でした。
さいたま市の成人式に出席しに、さいたまスーパーアリーナまで足を運んだのですが、
そこで聞いた清水市長の話が心に残るものでした。

市長の話は、僕らと同じくらいの年の頃の彼の実体験談から始まります。
途上国のボランティアに出かけたそうです。
そこでの経験が今の自分に大きな影響を与えてると。

僕は年明けに、深作健太監督「僕たちは世界を変えることができない」を観ました。
カンボジアの子ども達のために学校を建てますと公言した学生の心情と奮闘を描いたドキュメンタリー映画です。

この映画のいいところは、何事も綺麗事では終わっていないところで、
何も考えず飲み会やイベントに参加していた主人公甲太は、
ひょんなきっかけからチャリティー活動を始めます。

映画を通してカンボジアでのロケシーンも多く、
カンボジアのリアルから、大学生のリアルまで甲太目線で細かに描かれていて、
甲太とその一行は、実際に現地に行って自分達が学校を建てるカンボジアというところはどういうところなのか、
その目で確認しに行きます。
そこで出会ったガイドの人や子どもたちとの関わりの中で、彼らの中にうまく言葉にできない感情が生まれます。

なんで自分達がカンボジアの子ども達のために本気で努力しているのか、しなくてはならないのか。
それは、はたして就活のためか。世間からよく思われたいからなのか。
自分達のやっていることは自己満足のための偽善なのか。それとも。。。

自分が何かを成し遂げたいとして、他人を巻き込んでいくのならば、
なぜそれを成し遂げたいのかという動機が在り来で、伝えるために言語化しなければならない。
そこで説得力のある言葉を出すためには、
結局自分が何をしたいのか、なぜしたいのかと問い続ける姿勢が求められます。

甲太がチャリティー活動を始めたきっかけは本当に些細なことからでした。だからこそ、彼らは悩みます。
甲太達がカンボジアに学校を建てることが、世界を変えるのか。本当の意味で世界を救うのか。

僕個人としては、簡単に「僕が世界を変える」って言っている人よりも、
「僕は世界を変えることができない」と言っている人の方が信用できてしまいます。
前者の人は想い先行型で、その動機も決意も中身もないことが多いから。
後者の方が言葉がジブンゴト化されているからかな。
借りてきたような言葉しか発しないリーダーに魅力は感じれないし。

ただ、彼らは自分には世界を変えることはできないかもしれないと思いながらも、
目の前の子どもたちの笑顔のために、行動を起こします。
ラストは感動だし、途中の景色も音楽も素敵なので、ぜひ一度観ることをオススメしたい映画です。
特に甲太に共感できる僕らの世代には。

清水市長の話に戻すと、彼が成人を迎えた僕らに伝えたかったメッセージ
それは、「人のため、社会のために、志を高く持つこと。」
市長は特別にかっこいいことを伝えてきたのではありません。
おそらく、多くの大人が同じことを何度も今まで若者に発してきた言葉でしょう。
志高く。これはSoftBank孫正義社長のモットーでもありますね。
しかし、市長の熱い講演を聴いて、この言葉が体のどこかに響いた気がしました。
後から、市長のお子さんも僕と同い年で成人式に来ていたと聞いて、なんとなくしっくりきました。
どんなに言葉巧みな人でも、本当に人の心に響く言葉を発するときは何か違うんですよね。

世界は平等ではありません。2007年でのハーバード大学の卒業式でのMicrosoftビル・ゲイツ氏が言った言葉です。
世間の不平等を減らすことが人類最大の進歩だと講演しました。
ビル・ゲイツ氏のメッセージ、世界の不平等を減らすために。
これは清水市長、「僕たちは世界を変えることができない」のメッセージと重なる部分があります。

僕には、甲太達や清水市長のように、途上国にボランティアに行った経験はないけれど、
世界に転がっているイシューは格差だけではないので、僕にはまず僕のできることからやろうと思います。

さて、あなたがもし抱負話に飽々しているのならば、次の行を見た瞬間にこのブログを離脱ことが想定されますが、
2012年の抱負はわかりやすく「結果を出すこと」でした。
思い返せば去年の今頃は目の前のことを全力でやることに必死になっていました。
学歴や年齢で何かを区分することは効率化の手段だとはわかっていても好かない僕らしくない意見ですが、
10代のうちは目の前のものをきっぱりとこなしていれば認められる時代でした。
部活しかり、受験勉強しかり。やることは明確で、過程を考えることはあっても、最終目的地は常に与えられたものでした。
ただ、より高い結果を出すこと自体を目標にしてしまうことって結局「自分のために」なんです。
もしかしたら、自分ではなく自分達のためにかもしれないし、間接的には人のためになっていることもあるけれど。

成人を向かえるにあたり、大人と子どもの違いはなんなのだろうと考えていて、
選挙権与えられるなーとか、飲酒が認められるなーとか、クラブにry
大人と子どもの違いってやっぱり、責任、、、落ち着き、、、はたまた身長?とか。
市長の話を聞いて、成人するということは、社会の一員として認められることだと気づいた。
要するに、子どもの間は自分のことだけでも無我夢中にやっていれば許される。
大人になったら、社会のことも考えなさいねと。
いきなり思考すべき対象が自分から社会にどーんと広がるわけです。

今更ながら、今年の抱負を言うと「目の前の人のために」です。よく有りそうですが。
19歳(実はまだ成人してない…)。大学二年生。秀でた知識・経験特になし。
今は、普通の大学生にやれることを考えています。
今年、僕は社会を変えることはできないかもしれない。できるかもしれない。
けれど、社会は人の集合です。
今まで自分のことを考えていれば許される環境にあった人が、
いきなり大きなことに取り組んで、うまくいくこともあればそうでないこともあるでしょう。
でも、誰でもまず目の前の人を変えることはできるはずです。人のため。
僕のことを好きな人も嫌いな人も、尊敬してくれる人も舐めてる人も、性別も国籍も年齢も関係なく。
一番ジブンゴト化しやすい目の前の人一人一人と向き合って、自分にできることを考えていこうと思います。
だから、僕にとってこの抱負は去年の抱負と反対に位置するもの。一見関係ないように見えるかもしれないけれど。

今作っているサービスの最初の目標も同じです。
何事もいきなりは世界を変えるものにはならない。
ただ、社会のためになるサービスは、まず人のためになるサービスにならないと広まっていかない。
本当に大きな変化を求めるのならば、まず1人を変えれなくてはいけない。

視野はちょっとずつ広げていけばいいのかと思います。
意識が高い人が嘲笑されることの原因は、生き急ぎすぎているというか、
目の前のわかりやすい成長だとか、結果だとか、大きな夢を持つことだけに固着しているからで、
志を高くもつことは、まともな人からはしっかり評価されるし、良いことではあるんだけれど、
なんというか目の前の人1人1人とのコミュニケーションをないがしろにしているから叩かれるというか。
まぁそんなことはどうでもいいのですが。

とりあえずブログ移転一本目の記事だったので、
長くなってしまいましたが、今年も宜しくお願い致します。
今年は去年よりメディア上でのインプットを減らし、アウトプットを増やす1年にします!

ではでは。

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