安心感

自らの怠惰が全て自らに返ってくる、そんな環境にしどろもどろしていた。
生まれてこの方、完全に「1人」となった経験は一度もしたことがなかった。
未だに実家から出たこともなく、今まではずっと誰かしらが側にいてくれた。
毎日食事を探し、宿を探し、服を洗い、列車で移動し、
生きていくのに必要な全てのことを自分でしなければならなくなったのはこの旅が初めてだった。
何をするのも、こわい。
このときはまだ、買い物に行くだけでも勇気が必要だった。

メインバザールでの光景。屋台が多く並ぶ。

インド旅行記2日目。
起きてすぐに、バラナシ行きの寝台列車のチケットを取りに向かった。
シゲタトラベルのラジェンダさんは、旅行代理店も兼業で営んでいて、
「日本人は皆ここで買っていくし、自分で買いに行くと騙されるからよせ。」
とうるさかったが、知ったことではなかった。
そんなつまらない買い物に興味は湧かなかった。
僕の旅である。航海士は自分だ。チケットぐらい自分で買いに行きたかった。
ニューデリー駅には外国人専用窓口があり、簡単にチケットを買うことができた。
実際のところ、その専用窓口に行くまでの間で多くの人が騙されると聞いていたし、
現地でも何人かそこでインド人に間違った窓口や闇チケット的なものをふっかけられた人にも出会ったが、
昨日、日本人ツーリストから情報収集ができたおかげで、迷わずに専用窓口にたどり着くことができたのだった。
インドにいると、日本人という共通点だけで親しみが湧く。
その根底にあるのは唯一つ、安心感。それだけだった。

人から信頼されるには、不安な状態にさせてから安心感を与えるのが一番手っ取り早いと思う。
だから、僕らを騙してくるインド人の手口も巧妙だ。
「インド人は皆危ないよ。僕が安全なところを教えるよ。」と声をかけてくる。
そういうお前がその危ないインド人だろ、ばかやろー。
それでも、そんなやつらに限ってちょっとだけ日本語が話せて、
常に少なからず不安である僕らは、たったそれだけのことでも無意識下で妙に安心感を抱いてしまう。

メインバザールにて。

優しさ

チケットを手配した帰り道、メインバザールに出た。
ここはデリー屈指の商店街で、雰囲気はちょっと広めの原宿といったところだろうか。
原宿より、はるかに熱気を感じるけれど。
そして、ここで出会う人々は皆、商人だ。
彼らは毎日生きるために商業を営んでいる。
日本にいると、少なくとも今僕の周りにいる人たちは、自分の好きなことだとか、何がしたいかだとかを考えながら暮らしているように思える。
一方彼らを見ていると、生きるための選択肢はそれしかなかったように思われてしまう。
明らかに、視線の高さに差があるのだ。彼らが求めているのは、僕らから見れば本当に最低限の生活でしかなかった。
子どもが、足のないおじさんが、赤ちゃんを連れた母親が、僕にお金をせがんでくる。
日本人は、裕福に見えるのだろう。そして実際彼らと比べてしまえば、わざわざ海外にやってくる日本人など皆裕福なのだろう。
別にこのブログは哲学の教材でも何でもないので、
何か難しいことを問いたいわけではないのだが、
インドに行った誰もが、これだけは自問するのだと思う。
「何が優しさなのだろうか。」

問いの意味自体はわかりやすい。

目の前の彼らにお金を与えることは簡単である。
(彼らが望んでくる額は、ほとんどの場合日本でジュース1本、いや駄菓子1個が買える額にも満たない。)
そして、自分が彼らにお金を与えなければ、1つの命が消えるかもしれない状況である。
しかし、難しいのは目の前の1人を助けたところで、同じような境遇に置かれている貧しい人たちは数え切れないほどいて、根本的問題は何も解決できない。

矛盾が、葛藤が、インドにいる間中、僕の頭を悩ませ続けた。
インドは、日本よりもはるかに人口の多い国だ。
このデリーだけでも、日本の人口と同じぐらいの数の人が住んでいると言われている。
僕がデリーで味わったのは、まさに人の渦だった。
目の前には確かに「人」がいた。
しかし僕には、その1人1人の大きさ、エネルギーは、限りなく小さいように思えた。

お金を人からもらうことでしか生きていけない人たちがいる。

デリー郊外

太陽がかんかんと照り始め、お腹が空いてきたので、郊外にあるベジタリアンレストランへと足を運んだ。
店までは5キロほど距離があったので、普通ならリクシャーに乗って移動するのだろうが、
普通の観光客と同じ体験は、欲していなかった。
質素なインド人となるべく同じ目線で生活がしたかったので、たかだか5キロくらいは歩くことにした。
別に隣を歩いていても、彼らは僕をこれっぽっちも仲間だとは思ってはくれないけれど。

人生は、いかに情熱をもって努力したかで決まると思っていた。
しかし、そんなの嘘だと気づいた。
断言できる。人生のほとんど全ては、いつの時代にどこで生まれどんな風に生まれてこれるかで決まる。
彼らを見ていたら、そうだとしか思えなかった。
決して越えられない何かが、彼らと僕の間にはあった。
今の日本に生まれるという宝くじを引いていたことは、日本にいたら死ぬまで気付かなかったのだと思う。
生まれたときに一度しか引けない宝くじは、紛れも無く大当たりだった。
世界はちっとも平等ではない。
そんなことを考えながらも、お店についたので、パンパンになった脚を休めながら1人ターリーを頬張った。
ターリーは、ヒンディー語で「大皿」みたいな意味で、日本でいう「定食」みたいなものだ。
何種類かのカレーに、チャパティと呼ばれる薄く焼いたナンのようなものをつけて食べる。
ベジタリアンレストランなので、肉はまったく使用されていなかったが、その贅沢なターリーは最高に美味しかった。
どんなに偉そうな口を叩いても、僕はまだ食の質を下げることはできなかった。

これがターリー。めちゃくちゃ美味い。

ベジタリアンレストランからの帰り道。
公園では、子どもがクリケットを楽しんでいた。
子どもは、日本人の子どもと何も変わらない。変わるのは、一体どこからなのだろう。
お寺らしき何かの前を通り過ぎようとしたとき、中にいた子どもと目があって、
僕はなにか不都合でもあったかのように目を背けようとしたが、ふいに子どもが敬礼してきた。

???

訳も分からず敬礼仕返してみた。
すると、手でカメラマンがシャッターを着る仕草をしてきて、カシャカシャ言いながら笑う。
首からぶら下げていたカメラで写真を撮って、彼らに見せてあげた。
皆がとびっきりの笑顔で
“Thank you!”
と言ってくれて、素直に嬉しく思った。
小さな体験。それでも、これが僕がインド人とのコミュニケーションを楽しんだ、初めての瞬間だった。
あそこまで喜ばれると、現像して渡してあげたいと思ったほどだ。
子どもは無邪気だ。どこの国に行ってもかわいい。
一方で、同年代ぐらいの子どもが道端でお金をせがんでくるのも、この国の抱える列記とした事実であった。
世界は僕が思っていたよりも、ずっと複雑にできていた。

思ってみれば、僕ははるばるインドという国に来て、ここまでほとんど日本人としかコミュニケーションを取っていなかった。
もっと色々な人を信用しなくてもよいものなのか。
しかし、インドという無秩序な環境は、独りである僕をより一層疑心暗鬼にした。

彼らにとって、一眼レフをぶら下げている僕との出会いは、ゲームで激レアなキャラと遭遇したときみたいなテンションなのだと思う。

僕はそのまま、インドで初の観光をしようと、「ラール・キラー」通称レッド・フォートを観に行った。
その名の通り、真っ赤な砦がそびえ立つ。
しかし、入るのに250ルピー払ったわりには、大したことがないと感じてしまった。
日本円で450円ぐらいなので大した金額ではないが、インドで250ルピーといえば、ターリーにタンドリーチキンをつけて、贅沢な食事にありつける額である。
この金額を普通のインド人が平気で払えるとはまったくもって思えなかったのに、彼らは城内にもたくさんいた。
おかしいなと思い、彼らのチケットを拝見させてもらったところ、彼らが払っているのは10ルピーとか5ルピーとかだった。
これはラール・キラーだけではないが、インドの観光名所はどこもかしこも外国人には数倍から数十倍の価格設定をしている。
日本にはない文化であるが、お金はある人から取るのがこの国の常套手段なのだ。

レッド・フォート。中よりも外から見た方がかっこよかったかもしれない。

バラナシへ

そのまま宿に帰って身支度を済ませ、ニューデリー発バラナシ行きの列車を探しに急いだ。
人生初の寝台列車。
不安いっぱいで臨んだが、列車に乗ってからそれはさらに増した。
なぜなら、車両内にインド人しかいなかったからだ。
列車は、パーティションで区切られていて、その中には3段ベッドが横2列に並ぶ。
これは3Aという階級の車両だからで、例えば2Aに乗ると3段ベッドではなく2段ベッドになり、少しスペースが広くなる。
日本人観光客は2Aか3Aに乗る人が多いと外国人専用窓口の人が言っていたので、信じたのだが、
どんな場所であったとしても、安易にインド人を信じたことを後悔し始めていた。

しかし、自分のベッドを探し出し、肩身を狭くしながら指定の場所に座ると、
白人の若者から話しかけられた。
アイルランド人の若者で、名はバリと言う。盲導犬のティーチングをしているらしい。
彼は一眼レフカメラについて詳しかったので、インドに旅立つ直前に一眼レフカメラをネットで購入した僕は、
いろいろと興奮しながら使い方を教えてもらった。
インドに来て初めて日本人以外ととったまともなコミュニケーションは、とても新鮮で気づいたら夜が更けていた。
コミュニケーションの基本はやはり、共通点を探すところからだ。

旅人はすべからく表情が良い。

次の街、バラナシに着くのが、まるで冒険にでも出ているようで楽しみだ。
2013年2月24日 デリーからバラナシへ向かう列車にて。

余談だが、インドでは牛が普通に町中を歩いている。

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Hiromasa Yoshikane


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