列車で迎える朝
早朝、インド人の騒ぐ声で目が覚める。そうだ、昨晩はこの寝台列車で寝たのだった、と気づく。
インドでの旅も3日目に突入だ。初日に感じたこわさは、ようやくなくなってきていた。
今何時だろうと思い時計を見ると、まだ朝の5時だった。
こいつらはめちゃくちゃ朝早くからうるさい。
こんな時間でも、物売りが「チャイはいかが?」と車内をうろついている。
訂正。「チャーイチャイチャイチャイチャイ!!!」と騒いで回っているに等しい。
車内サービスというには、到底及ばないようなひどいものだった。
しかし、昨晩半端なかった列車の揺れは、今は大分落ち着いて、少しばかり心地が良い。
そういえば昨晩僕が寝ている間に、同じパーティションの空いていたベッドに、2人組の日本人学生が来ていた。
列車は7時40分に到着する予定だったが、案の定7時半を回っても到着する気配はまったく見せない。
折りたたみ式のベッドを畳み、昨晩話したアイルランド人男性と、日本人学生達と話し始めた。
彼らはデリーで僕が恐喝にあったところと同じような旅行代理店、
というかただの悪徳業者に法外な値段でツアーを組まされていた。
僕のデリーでの騙され話はまったく大したものではなかったなと思うくらい彼らの相手の方が巧妙な手口だった。
皆、バラナシに向かうということだったので、駅から共にすることにした。
到着予定時刻よりも大幅に遅れてやっと着いた駅は、バラナシ駅ではなく、隣のムーガルサラーイという駅だった。
ここから、バラナシまではオートリクシャで移動する。
しかし、本来前に運転手が乗り、後ろに2名が座れば丁度良いぐらいのリクシャに、なんと6名で乗って移動することに。
日本ではこんな乗り方は考えられない。
なんたって、脚がリクシャの外に出ているのだ。保険、なんて彼らが入ってるわけはないし、事故ったら大惨事だ。
しかし、これも格安旅行の醍醐味とでも言ったところだろうか。
日本人の彼らはツアーを組んでいて宿が既にあったので、まず一緒にそこに行くことにした。
インドは格差社会なのだと、常々考えさせられる。
その宿のオーナーは高そうな服や時計(日本ではダサすぎて見に付けることなんてできないけれど)を身につけ、
自慢のバイクを僕らに披露してくる。
しかし、そんなオーナーの捨てたタバコの吸殻を拾うのは、他でもなくそこで働く若者であった。
この2人には、決して越えられない隔たりが存在する。
宿探し
デリーの宿は日本で予約していたが、ここから先は毎日その日の宿を探し続ける生活だ。
もちろん、スマートフォンで予約なんてそんなスマートなことができるはずはないし、
もし宿が見つからなければ、野宿することになるかもしれない。
そう思いながら、宿を探す。
コミッション料狙いのインド人客引きが頻繁に声をかけてくるが、
彼らのことは無視して、「地球の歩き方」に載っていた日本人ツーリストにオススメの宿に向かった。
受付に入ると、日本語がペラペラのインド人と、いかにも旅人のような風貌の日本人男が談笑している。
バラナシでお祭りが行われている期間という理由で、宿代は本に載っているよりも少しばかり高く、
「本当かよ。」と思ったが、どうやらどこもそのようで少し値上がりしていると日本人の方にも言われ、
何よりも旅人が集まる場所には有益な情報が転がっているものなので、ここに泊まることにした。
噂のお祭り期間には、インドの人々が礼拝を行っているらしい。
観に行こうと誘われ気軽な気持ちで参加しに行って驚いた。
礼拝って静かにお寺とかでやっていると思っていたけれど、
僕が見たそれは、そんなイメージとは程遠く、例えるならばまさにお祭りだった。
バラナシが聖地と呼ばれる所以がわかった気がする。
そこにはすごくたくさんの人がいて、声高らかに祈っている。
歌だ。大合唱でもしているかのようで、ふとしたきっかけで訪れた礼拝に、僕は心を動かされた。
宿には屋上にルーフトップのレストランがあった。
そこで、バラナシに来ていた日本人ツーリスト達と日本語ペラペラインド人ガイドと盃を交わす。
バラナシの夜は美しい。
ちょうど夕陽が沈むところで、反対を振り返るとガンジス川の奥から月が昇って来るのが見えた。
インドに来てからこれまでの間、インドの良いところなんてほとんど感じなかったけれど、
その瞬間は、インドって最高の国だと思った。
そこには仲間がいて、美味いものがあって、美しい景色があって、そして自由だった。
お祭りのためか街は夜になっても依然として明るいままで、
インドに来てから最も良い気分で布団に入る。
インドに来れて、バラナシに来れて、よかった。
2013年2月25日 バラナシにて。