朝陽
インド旅行記4日目。
早朝6時に宿を出た。ガンジス川から昇る朝陽を観に行くためだ。
昨晩見た夕陽、そして礼拝も極めて美しく、心が動かされるものであったが、
このバラナシで最も有名なのはこの朝陽だ。
ガートと呼ばれる小さな港から、僕らのボートも含めてたくさんの船が出ている。
現地の案内人がゆっくりと川の反対岸に向けて漕ぎだす。少し手伝わせてもらったが、死ぬほど重たい。
太陽が昇る。
最高の朝だった。
今まで観たどんな太陽よりも綺麗で、言葉がでない。
反対岸はまるで海岸線であるかのようで、太陽と僕らを妨げるものは何もなく、
インド独特の澄んでいない空気が、何とも言えない絶妙な光景を作り出していた。
振り返ると、ガンジス川のガート付近では地元に人々が体を洗ったり、洗濯をしたりしている。
ガンジス川に入ることを沐浴といい、ここ聖地バラナシで沐浴するために、インド各地からたくさんの人々がやってくる。
彼らはガンジス川をガンガーと呼び、ガンガーの聖なる水はすべての罪を洗い流すと言われる。
彼らにとって、この聖なる川ガンガーは「生」そのものなのだろう。
しかし、ガンガーの水は東京湾よりもはるかに汚い。
朝食は少し焦がしたブレッドにチャイを添えて。
店のインド人がとても親しげに話してきてくれるのだが、時折セクハラまがいな発言があり、
よくよく話すとこの人は男の子が好きなのだと知る。少し血の気がひく。
ここに限らずインドにはゲイが多いと旅の間何回か感じる場面があった。
商人
午後はノープランだったので、ブラブラと大通りを歩いていた。
ひっきりなしにキャッチの声をかけられる。
インドに来たばかりの頃は少しは相手にしていたのだが、
日本人観光客はあまりにも一日中声をかけられるために、
インドに来てからというもの、平気で人を無視するスキルが身についた。
しかしこのときは、インドにしては珍しく清潔な格好をした少年に話しかけられ、
彼が営んでいるという織物屋に付いていくことにした。
風貌は高校生ぐらいだったが、訛りがひどいインドでは珍しく綺麗な英語を話した。
聞くと彼は英語と数学を学んでいる学生らしい。賢そうな話し方をする。
実際、彼の営業は巧みだった。
彼の営む織物屋は、大通りから脇道に少し入ったところにあった。
商売は信頼を得るところから始まるが、日本人観光客とインド人との間にはこの概念は存在しない。
一期一会でしかない客としか触れ合わないインドの商人は、
信頼を得ることなど無視していかにしてその取り引きを高値で終結するかしか頭にないが、
彼は、他のインド商人とは一味違った。
ここインドでは珍しくお客さんをお客様として扱うのが彼の作法だった。
座布団の埃を丁寧に払って、「何か飲むかい?」チャイを出してくれた。
インド人にここまで気を遣われたのは始めてで、正直不気味さを覚えた。
折角頂いたチャイだが、周りにインド人しかいない中で口にしてもし睡眠薬でも入っていたものなら、
命が危険だと思い、一口も飲まずに放置していたが、
しばらく放置していたのを見て彼は不満そうに「飲まないのかい?」と言ってきた。
僕は仕方なく「今喉が渇いていないのと、チャイはそんなに好きじゃないんだ。ごめんね。」と謝る。
「それなら勿体無いから俺が飲むよ」と彼はそのチャイに口をつけた。
結局睡眠薬も毒も何も入っていなかったわけで、
いくらインドにいるとはいえ、親切心を無にしたと感じると心が痛む。
彼は寂しそうな顔をして、勿体無いと言わんばかりに僕のチャイを頬張った。
今になって思うと、こういう展開になるのは彼には想定内というか、最早完全に計算通りだったのかもしれない。
少し彼に悪いことをしてしまったと気にしていると、彼は棚に積んでいた商品の織物をたくさんこちらに持ってきて、次々とめくりながら見せてくれた。
そして驚くことに、この商品は良くないと言ってだめな商品の特徴を教えてくれるのだ。
これは、どんな商品でもどうにか騙してでも売り捌こうとする今まで出会ったインドの商人を考慮すると、
その親切な行為はまったく想像を逸脱していて、僕は驚きを超えて感心してしまった。
「本物の絹ではなく、偽の素材で作っているものは火で炙ったときにこげてしまうんだ。」
と言って次々に織物に火をつける。
「ちなみに、君のもそうだ」と言って僕がデリーで買ったストールも躊躇なく炙った。
おいっ、勝手すぎる。さすがに勘弁してほしい。
人の持ち物を大切に扱わない点はともかく、質の悪い商品と良い商品の違いを顧客に明確に理解させるためのこの手法によって、
彼は商売をする上で何よりも大切な「信用」を得ることに成功した。
僕はインドに来て初めて、騙してこようとしない、嘘をつかないインド商人にて出会ったのだ。
たしかにどこか胡散臭いが、他のインド商人に比べれば極めて誠実な彼を気に入った僕は、どこかでお土産は買う予定だったし、
せっかくなので彼の商店で何か買っていってあげようという気持ちになった。
しかし、こうして顧客である僕が「この商品は良質だ」と確信を得た時点で、彼との勝負に決着はついていたのかもしれない。
このとき彼と出会って既に1時間が経っていた。
彼が提示した額は織物5点で3000ルピーだった。
僕が以前デリーで買ったストールは100ルピー(インド商人の始めに言った値段は1000ルピーw)だったし、
このインドで3000ルピーあれば3, 4日は優雅に旅することができる額だった。
(※参考のため、1ルピーが当時の価値で1.8円程。100ルピーが180円、3000ルピーは5400円の目安だ。)
想像していたよりもはるかに高かったが、なぜか値切りすることが躊躇われた。
チャイをくれたり、素材の見分け方を教えてくれたり、バラナシの観光情報を教えてくれたり、それはささいなことであったが、インド人から受ける恩恵としては、感謝するには十分すぎた。
いつもならこの価格交渉のタイミングで、とうとう本性を現したなインドの悪魔め、なんて思いながら値切りを開始するのだが、
今まで彼から様々な恩恵を考えると、彼にはそういうことをする気が起きなかった。
ふと、そんな自分を俯瞰して考えて、「返報性」が効いているなと思った。
おそらく彼の場合は本を読んで勉強したのではなく、観光客と話す中で身につけた知恵なのだろうが、
話を聴いている側の僕としては、「影響力の武器」に書いてあることをよくもここまでしっかりと実践しているなという感想を覚えた。
逆にいうと、僕はこの本を読んでいなければ、この5点で3000ルピーという彼の言い値の妥当性を信じて疑わなかったかもしれない。
結局のところ、「インド商人を信用してしまっている」というそんな状況自体に疑いを持っていたおかげで、僕は500ルピーにしてくれと値切りを開始することができた。
しかし、それはインド商人という彼のバックグラウンドに大きく影響されていたためであり、彼との闘いには敗れたと言っても過言ではないだろう。
値切りを開始してからも彼の見せ場だった。
普通のインド商人に値切りをすると、一瞬で値段が半分になったり、3分の1になったり、とにかく値段がよく下がる。
しかし彼はほとんどディスカウントをしなかった。
僕の手にしている織物は良い素材を使っているから、そんな値段で売れるわけがないだろうと怒り、そして哀しげな顔をした。
僕は強く自信を持って粘ることができず、すぐに1000ルピーを主張したが、彼は2600ルピー。
まったく下がらない。彼にこれ以上下げる気はなさそうだ。それでは売れない、と。
それでも、その5点は何百という織物の中から僕が選び抜いた5点。
紛れも無く僕が欲しい商品だった。
それでも2600ルピーはお土産に払えないと思って、渋々諦めて帰ろうと思った。
話が進んだのは帰ろうとした後で、彼が急に動揺したのだ。
おい、まじかよ、帰るのかよ、と言わんばかりの顔で、「いくらなら君はこれらを買うんだい?」と尋ねてきた。
「1000ルピーが限界だ。それ以上はここでお土産には使えない。」僕は本音で答えた。
結局、折り合いがついたのは1100ルピー。
彼は、役者だったのだと、ここまできてようやく確信を得た。
後になって考えてみれば、800ルピーぐらいが妥当な織物だった。
差額の300ルピーは彼の交渉力による儲けであり、そして僕が彼に払った授業料ということで。
帰り道、僕を負かした商人に「君の取り分はどれくらいなんだい?」と聞くと「2%さ」と言われた。
つまり、1100ルピーなら22ルピーってこと?1時間以上かけて?
いや、キャッチの時間から言ったら彼がこの売上作るためにかけた時間はもっとだろう。
コミッション率が本当かどうかなんて知る由もないが、これが真実なのだとしたらあまりにも低い。
ハチ公や歌舞伎町に生息するキャッチはもっと高い割合で報酬をもらっているだろう。
しかし、ここインドではこれがインドの商人の実態だと言われても、信じれなくはなかった。
インドはそんな場所だった。
僕らツーリストがバザールで会うインド人はほとんどが商人だ。
その横にいる乞食よりは良い身分なのかもしれないが、
少なくとも僕は彼らと同じ土俵に立っている感覚を持てなかった。
宿に戻ってからは、旅の予定を組み直した。
列車で、タージ・マハルで有名な街「アーグラ」に向かう予定だったが、
バラナシ―アーグラ間の列車は本数が少なく、移動が困難なために、
明日は飛行機で、商業の街ムンバイに向かうことにしよう。
今は他の日本人ツーリストと連絡を取る手段がないので、この後も一人で行動することにした。
せっかくバラナシにいるので、火葬場で有名なマニカルニカーガートに向かおう。
火葬場
歩きながら街の人々を写真に収めていると、カメラを向けたときある男の子が近づいてきた。
デリーでかわいい子どもたちがカメラ目当てに寄ってきたときのことを思い出す。
「写真好きなの?」
「もちろん」と。
笑顔で、しかしどこか少し哀しげな声で返ってきた。
彼が僕の前で、はしゃぐはしゃぐ。ここインドではやはりカメラは珍しいものなのか。
その答えはすぐにわかった。
「ポケモン」といきなり彼は言った。
彼はポケモンを知っているらしい。
「ポケモン、ポケモン」僕が反応すると彼は喜んで連呼した。
そして僕は彼に撮った写真を見せる。
喜ばれる、と思った。
「10ルピー」
彼は真顔で右手を差し出しながら、一言ぼそっと呟いた。
お金。
写真を撮るとお金をくれるツーリストがたくさんいるのだろう。
お金。
ポケモンというとお金をくれるツーリストがたくさんいるのだろう。
お金。
それは一体何なのだろう。
一瞬の間があいて、それから僕は尋ねた。
「ねぇねぇ、夢って言葉、知ってる?君がさ、本当にしたいことって、何なの?」
すぐに後悔した。子どもだった。酷な質問をしてしまった。
何も聞くこともできずに、彼と一緒にいるのが辛くなって逃げるように彼の前から立ち去った。
何もしないで、写真なんて撮らないで、無視すれば、よかった。
僕が去ろうとすると彼は走って先回りしてきた。目が合う。
「なぜ?」彼はそう一言呟いた。
なぜ10ルピーすら自分にくれないのか、と。
日本人からしてみたら端金だろう、今さっきまで一緒に楽しんでいただろう、と。
僕だって聞きたかった、なぜ君に上げなければならないのか。
同じような、いや、君よりも貧しい生活を送っているだろう子どもだって世界中に五万といるはずだ。
なぜ、他でもない君を僕が助けるべきなのか。
そんなこと、聞けるわけがなかった。
10ルピーなんて、たしかに端くれだ。
何枚でもくれてやるさ、それで本当に君が幸せになるというのならば。
しかし、今のは違うよ。
人生はゲームじゃない。
目の前の幸せを繋ぎあわせていけば、最終的に幸せな人生だったって言えるようになるわけじゃないだろう。
そんなに簡単にはできていないよ。
僕のこの場でのたった1回の意思決定なんてマクロにみたら君の人生に影響しないに等しい、じゃないか。
どんな正論を言おうとも、僕のしたことの結果だけを追えば、彼を暗い気持ちにしただけだった。
目の前にいるその人を、幸せにも笑顔にもしていないのだから、何を言おうが偽善でしかなかった。
いかにも彼の幸せを考えて行動しているように見せかけて、僕の行動はそんな想いとは完全に矛盾していた。
もし人生がゲームだとして、僕の資産がチートコードかなにかで無限にあったとしたら、
僕は彼に10ルピーを上げただろうか。
おそらく上げたのだろう、と思う。
だから「偽善」なのだ。
そのまま気分が乗らない状態で火葬場に向かう。
子どもと僧侶を除く多くの死者がここで24時間焼かれているのだという。
僕が火葬場に近づくと、1人のインド人が僕の方へ近寄って来た。
何やら、カメラ撮影は禁止だと言いたいらしい。
一眼レフを構えてきたから格好の餌食として捉えられたのだろう。
彼は勝手に火葬場の説明をし始めた。
こいつ、ガイド料を求めるパターンの面倒くさい系インド人やな。
「帰るからさ、一人にしてくれよ。」
「帰る前に寄付金だせ、おら、返さないぞ。」
出ました。詐欺系商売人インド人出ました。地球の歩き方に書いてある悪いインド人の典型的な奴出ました。
結局こいつが中々しつこくて、さっきのポケモン小僧のおかげでローテンションだったのもあり、
これ以上すすむのを諦めて引き返した。
帰り際、彼に「バカヤロー」とまさかの日本語で捨て台詞を吐かれた。
なんて下衆い言葉だけ覚えているんだ。
帰る僕をけなしたところで、何も彼に良いことなんて訪れないのに。
彼は僕のことをとことん悪く言っていたけれど、彼に悪気はないのだろう。
お金持ちの観光客を騙す、口と根気だけが必要とされる簡単なお仕事。
しかし、おそらく彼はそれで生計を建てている。
嘘か本当か知らないが、自分がこの仕事の三代目だと言っていた。
一生その仕事をするつもりなのだろうか。それとも、そんなに後先のことは考えずにでまかせを言っただけなのだろうか。
インド人は何を思って、何のために生きているのだろう。
日本にいる間にこんなことをこんなに切実に考えたことはなかったと思う。
帰り道、落ち込んでいたからか、強く孤独であることを実感した。
昨晩ツーリスト達と楽しく騒いだのを、遠い昔のように懐かしく感じた。
とぼとぼ歩いていると、幼稚園児くらいの小さな男の子が僕の脚を掴んできた。
下を向いて彼の方を見ると、可愛い顔で僕の目を覗きこんできて、僕の頭は真っ白になった。
彼の背後に目を向けると、少し離れたところに彼の姉らしき女の子がいて、
その後ろには彼よりもさらに一回り小さな赤ちゃんを抱きかかえた母親がいた。
インドの子ども達は、僕らが平仮名を覚えるのよりも早く、お金を稼ぐことを覚えるのだろうか。
部屋に戻ると、ベッドに倒れこんだ。Wi-Fiがつながった。
LINEやFacebook、Twitterを眺めているだけで心が落ち着いた。
これまでソーシャルに入り浸るのをあまり良く思わなかったけれど、
いざ親しき人達から遠く離れてみると、思ったよりソーシャルは良いものだった。
コミュニケーションが、つながりが、人を救うのか。そうなのか。
誓い
お腹が空いてきたので、夕食ついでに日本人女性とインド人男性の夫婦が営むカフェを目指すことにした。
僕は完全に悩んでいた。思考を放棄する寸前だった。
何が正しいことなのかがわからなかった。
悩むことは、考えることとは違う。前に進まなくなる。
そんなときは周りに助けを求めた方が良い。
そこでなら、何か前へ進む糸口が見つけられると思った。
部屋を出ると、昨晩夕食を共にし、今朝ボートで朝陽を案内してくれたガイドのインド人がいて、
僕は彼に他の皆がどこにいるのかを尋ねたが、彼は頑なにそれを拒んだ。
どうやら、今朝うちのお土産屋に来ないか?と言われたときに、
「この街でお土産を買うのはまだ早いよ、ごめんね。」
と言った僕が、新たなストールを身につけているのをみて腹を立てたらしかった。
よく考えて見れば、彼にガイド料は払っていない。
物を売ったり、宿に案内したり、僕らに消費をさせるのが彼のビジネスだ。
オフラインのアフィリエイト業。
今まで会ってきたインド人は須らく、ビジネスから離れると途端に優しさがなくなる。
彼は僕の仲間でも友人でもなかった。
僕は彼の「客」で、僕と彼の関係性を現す言葉はたった一文字で問題なかった。
仕方なくそのまま一人で、僕は目当てのカフェを探しに街へ繰り出した。
今日もまた美しいガンガーの夕陽を観れるのかと思っていたが、夕陽はとうに沈んでいた。
僕は夜道を地球に歩き方に載っているアバウトな地図を頼りに進みカフェを探したが、完全に迷ってしまった。
バラナシは迷路のようだ。人に溢れた夜の街は怖かった。
朝のガンガーでは多く見られた観光客もこの時間になるともうほとんどいない。
恐怖心だけで前へ進んだ。
結局カフェは見つけられず、宿に戻った時には出発した1時間半が経過していた。
もうどこのレストランもやっていない。
今晩のご飯は露店で売っているスナック菓子になりそうだ。
泊まっているゲストハウスの屋上には、昨日の夕飯を食べた景色の良いルーフトップレストランがある。
もう閉店している時間だったが、僕はシェフに屋上で一服したいと嘘をつき、レストランまで上がった。
只々落ち着いたところで一人で外の空気を吸っていたかった。
屋上に上がった瞬間、涙が溢れてきた。
そこで観たのは、フェスティバルで輝く街と、夜空に浮かぶたった一つの満月だった。
その壮大な景色を目の前に、言葉に出来ない感情がこみ上げてきたのだった。
自らが抱える矛盾、孤独、恐怖。
僕はなにか隠していたのかもしれない。
我慢していたのかもしれない。
しかし、ガンガーは僕が自分の感情を心の内に潜めておくのを許さなかった。
独り、屋上で、僕は泣いた。
大泣きするとスッキリして、気分がとても良くなった。
その時僕はガンジス川に3つの誓いをたてた。
一、世界の人々に平等な機会を与えること。
世界は不平等だった。結果に差が生じるのは仕方ないにしても、平等に機会が与えられていることなんてなかった。
昔から機会が平等じゃないのがもっとも嫌なことだった。
なんで両親がお金を持っているかどうかで選択肢が狭まるのだろう。
なんで生まれた場所が違うと学校にすら行けないのだろう。ご飯も食べられないのだろう。
機会平等な世界が好ましかった。
教育領域が好きなのも、おそらく機会平等への貢献したい想いの表れなのだと思う。
二、人の心を動かすこと。
ガンガーは凄かった。人の心を動かす。
人生最高の瞬間って、
「死ぬ直前にフラッシュバックするだろうな、今。」って思える瞬間って、
心が動いた瞬間なのではないか。
自分が映画の主人公になったときなのではないか。
感動というのは、人間の感情の中で最も尊きものだと感じた。
人の幸せの総量は、どれだけ感動したか、心を動かされたかなんじゃないか、なんて思っちゃったりして。
三、目の前の人の笑顔を大切にすること。
自分の中に矛盾が生じるときは、大抵これができていない時だった。
いろいろ理由をつけて、大義をかざして、目の前の人を60億分の1として扱う。
しかし、僕らは今を生きていて、所詮未来は夢物語、過去は知恵の在処、そんなところでしかない。
僕は裕福な日本人がインド人庶民よりも幸せだとは間違っても言い切れなかった。
しかし、結論はいつもシンプルで、目の前の人、身の回りの人がみんな笑っていてくれたら人は絶対に幸せになるだろう。
目の前の人と向き合うことは、僕なりに今を生きる、ということだった。
この時は思考が停止していたと思う。
不必要な論理はゼロで、聖なるガンガーを眺めながら、何からも逃げず心の声を聞いたときに出てきたのがこれらの言葉だった。
異国の地で、独り、矛盾と孤独から逃げず、精神的に追い詰められた状態で自分と向き合ったとき、
なぜか自分のことは何も出てこなかった。
とても辛い半日だった。
けれど、きっと振り返ってみれば今日も悪くない日だった、そう思える日がいつか来るのだと信じよう。
インド一人旅。
人生観が変わると言われる。カルチャーショックを受けると言われる。
しかし、僕がここインドで味わったのは、他でもなく僕自身の人間性で、インドはきっと鏡なのだろう。
今日でバラナシを発つ。さようなら、ガンガー。ありがとう、ガンガー。
2013年2月26日 バラナシにて。